UX SHIGA 05

前回はずっとネガティブ思考で心の中は嵐が吹き荒れてましたが、

嵐も過ぎ去り少し晴れそうという感じまで回復しましたww 

長いトンネルから抜けたような心持ちです。

 

これって、多分前回のブログを書いたおかげな気がします。

自分が悩んでる事と素直に対峙したおかげで、自分を俯瞰してみることができた。

 

 今まで悩みすぎて身体はここにあるけど、魂ここにあらずって感じで集中できてなかったw

 

そして新しい気持ちで改めて前回のブログを見てみると落ち込みすぎて視野が狭くなってんな…おいって感じでした。

気づきがないって決めつけてたけどちゃんと振り返ったらもしかしたら何かしらあったんじゃないかなと後で思いました。

 

今回はしっかり次にどうするのかを考えてブログを前向きな気持ちで

書きたいと思います。

そして、いつもより少しだけ変わったかもしれないのび太の話をしたいと思います。

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UX SHIGAも第5回目ということで最終回。

今回はエスノグラフィ(個人課題)→KA法。その観察を行ってきました。

気づいた事は下記のことです。

 

 

■受け身のび太から人に相談するのび太

 前回のUX SHIGAから日常生活でも受け身ばかりののび太にならないように、

そして周りの人間をしずかちゃんだと思い頼るということを意識してみました。

これらのことを意識することで私の中で少しだけ内面の変化が

起きたような気がします。

 

それはなんぞや~なんですけども、

人と話すときに大分気が楽になったのを感じられたということが1つにあります。

 

以前までは人に否定されるのが怖くて正直な自分の気持ち、

話したいことがあってもすべて自分の殻に閉じ込めてきました。

とにかく同調だけしてきた。

 

だけど、人に頼ってもいいんだと意識することで

 

「今どういうことを観察してるの?」と気負わず人に聞けるようになった。

「なんでだろ?」っていう人の質問に対して「うーんわかんないかも」っていう発言が

素直に出せるようになった…と思う。

 

今まで積極的になれない自分に自信がないために人に言われることに従順でした。

怒られると恐怖し、そして、物事をちゃんと出来ない自分に対して自己嫌悪を起こし、

行動に常にブレーキがかかっている状態でした。

 

でも出来ない事あったら振り返って次どうするか考えて

ゆっくり改善していけばいいんだって思ったらそんな落ち込まなくても

いいかなって思ったw

 

日常の会話でもまだちょっとぎこちないところはあるが、

自分が感じたことを素直に意見できるようになってきたようなそんな気がしています。

 

ごじゃごじゃ言ってますけど、簡単に一言で言えば

素直に人と向き合えるようになった。

ジャイアンにいじめられたけどどうしたらいい?って聞けるのび太くらいには

なれたかも。

 

 

浅野先生が前回おっしゃってた「技法ではなく人間性を高める」という

言葉を思い出して私が今こう人と比較して、自分を治そうとあがく行為も

一種の人間性を高めることじゃないかなと感じています。

 

そして自分が部活動をやっていた理由は人間性を高めることが

目的だったんだなとはっとしました。

 

■なぜと考える環境を作る

今回は各チームに観察者1人ずつ、全体を見る人が1人という構成で

WS観察を行いました。

そして観察者は各チームの10番目の役割を担い、サザエさんが毎週出してる、

じゃんけんのパネル見たいなもの(真四角だけど)を出して

「モトじゃなくてコトを見る」とか「周りを見てみよう」と

書かれたパネルを出して参加者に良い気づきを与えるための手助けを

しようとしていました。

 

今回私はA班、B班を担当していたのですが、

パネルは出せませんでした。

 

なぜ?

 

部員と浅野先生がしていた会話で、「このパネルを出してその先どうしたいか」とか「なぜ出すのか」ということに対して改めて言及され、

考えを巡らすと疑問を持ったっていうのもあったんですが、

 

ほかの部員が写真の価値について参加者の方にもっと深堀できるよう

アドバイスを入れるといった場面でパネルを使用していましたが、

結果としてそれが上手く起用していないように感じたからです。

 

言われた事に対し、ただ行動をしてもらうだけでは気づきを得てもらえなくて

、本当に理解してもらうためにはただ言うだけでは駄目。

 

「周りを見てみよう」ってパネルを出す事で例え周りを見に行ったとしても、

なぜ見に行くのかをきちんと理解していないとなんの意味もないなと思った。

言われた事をただただやらせているようにしか見えなかった。

 

 この体験から幼い頃のことを少し思い出した。

小学1年の時、私の大っ嫌いな先生がいた。

その先生から算数の基礎となる足し算やら引き算やらを教わった。

だけど公式は頭に叩き込め、なんでと考えるなと指導されてきた。

 

例えば1+1= という問題があったとすると、

私はこれに対してなぜ1と1を足すと2になるのか疑問に思う。

 

しかしその先生はそれを説明せず「1+1は2になるんです!」公式はなぜと考えず頭に叩き込めと教わった。なぜ?と考えると頭ごなしに怒られていた。

 

そのせいか、ただの計算式は解けるが、応用である文章問題で足し算と引き算の使い分けが全く理解できないようになってしまった。

周りの子は塾に通っていて、問題はすらすらとけていたが、先生は

そういう子たちばかり褒めていたのだった。

 

 だけど、その後に「なぜ、どうしてこの答えになるのか」を別に

親に聞くようになってからは理解もできたし、算数が好きになっていった。

 

その背景には、解けない問題があったとしても親に答えの解き方を聞いて、

理解できなくてまた考えて失敗して、反省して、分かるまでしつこく答えの解き方を

聞いて、成功するということをずっと繰り返したということがあると思う。

 

大嫌いだった先生がもし、

答えにたどりつくまでの過程をヒントで教えてくれていれば、

算数が早い段階で好きになっていたかもしれないのに。

1+1は2に結びつく、物の考え方のルールみたいなのを私に考えさせるきっかけを

くれればよかったのになと思う。

 

話を戻すと、ただ答えをこの先生のように頭ごなしに教えるのは意味がなくて、

どうしてそうなるのかを考えるきっかけ作りをしたらよかったのではないだろうか。

 

「周りを見てみよう」と完全にただ言うのではなく遠回しに、

「多班と自分の班との違いってどうだと思いますか?」、

「今なにに困っていますか?」とか何か考えるきっかけや環境を

作るべきだったんじゃないかとふと思った。

 

■観察結果ってどうだったの?

 正直今回もあんまり観察できてません。

なぜ観察するのかが、自分のなかで明確になっていなくて、

ただただぼーっと見てたというのが正直な感想です。

 

それでも何か書けば気づきがあるかもしれないと思うので、記述はしたいと思います。

 

先ほども言ったように、A,B班を主に観察していたのですが、

A班は二人が宿題を印刷してきておらず当日携帯見ながら価値を手探りで探すということをやってました。

そこから班の中での熱量がちょっと違っていたのかなと思います。

他の班と比べると静かで、周りを見に行く事もそこまでしていませんでした。

 

写真になんの価値があるのかを話し合ってはいるが、あまりチームで共有せず悩まずにトントン拍子で物事が進んでいるような印象を受けました。

 

分類の仕方としてはAという大きい価値の括りのなかにa,b,cという他の価値が含まれるといった書き出し方でした。

 

見ていくうちに、Aの中にあるabcが価値ではなく場所や環境のカテゴリーで

分類されていることが少し気になりだしました。

これって価値で分類できているのだろうか?やっていることが少しずれている?

本当に深めるべき価値があまり深められず、

分類する作業の方へ意識が集中しすぎていたといった印象を受けました。

 

会議で決めるべきことを話していたはずなのに、

気づけば世間話になってたみたいな、そんな感覚。

 

 

 それと相反してB班はチーム共有をよくやるタイプでした。

分からないところや疑問をチーム全員で共有していました。

それぞれが書き出した価値カードを回し読みしてどういう感想を各自が感じたのか意見交換が

やりやすく行える形を作っていたり、そういう姿勢は◎だったと思います。

そのおかげで一つ一つの価値を深堀できていたように思う。

 

先生のアドバイスもあったそうなのですが、

最終的にベン図のようなそれぞれの価値が交わるようなマップを作り上げていて、

なんでどうしてをきちんと考えられていたチームだったのではないかと思います。

 

 

観察結果が行ったり来たりしちゃうのですがA班の話に戻ります。

Aの分類の仕方で、大きい括りの中に他の価値がおさまりきれるのかという

疑問を持ちました。

価値は細かく記載するとすごく複雑な分類になって括りからはみ出しちゃったりしちゃうのではないか?

 

そう分類について考えを巡らせている最中でベン図みたいに

色んな価値が交わる分類の仕方がいいんじゃないかなと思いました。

以前聞いた、最大公約数の部分を考えるのが今回の成功なのではないかと

観察してるときに気づいた。

 

あとから聞くとそれが成功パターンだったそうで、

それに気づけたのは嬉しかったんです。

が、、、、!そこに気を取られすぎて観察者としては見ての通り駄目駄目でした。

 

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どうも今回は自分がWS参加者のような視点になってしまっていた気がします。

 

というのも同じ部員の荒木さんと振り返りをしていたときに気づいたんですけど、

自分の振り返りがスカスカで中身がないことに話をしてみて分かりました。

価値マップが完成していく過程を話すんだけど、「で!?」って感じでした(笑

 

同じ部員の荒木さんは観察が上手くて、だれがチームを引っ張っていたのかとか、

その人が学生か社会人なのかという属性や人間性までかなり深く1人1人を

観察していました。

なんか目から鱗って感じだった。そこまで見てるんだーーー!みたいな。

 

そして荒木さんは私の観察結果に中身のなさを感じたのか私に

「モノを見ちゃってたのかな?」と言ってきた。

そして、はっとした。

 

 

 

ぎゃーーそのとおりだわ!!!!!

 

 

 

今回失敗した原因は3つあると思う。

 

1.  WS参加者の視点でいた。

2. 1チームを固まりとして見ていた(物を細かく見ようとしなかった)

 

そして、

3. 思い込み。

が強くあるんではないかと思う。

 

実は、今まで観察に成功したという手応えってほとんどなくて、

他の部員との差で落ち込まないために「失敗してる分かってる分かってる」って

思い込んでて深く考えることを拒絶していた気がする。

 

モノを見てたって口では言ってはいたけど、

言ってただけで本当に頭で理解できてたのかなってちょっと不安になった。

 

今まで自分は何を考えて観察していたのか? 

 

一連の流れを思い出してみよう。

成功した部員をまずは観察し、

「部員がみんなたくさん質問してる。なんか成功しそう。」と考えて、

 

質問回数が多い=成功と思い込み、多く質問することを心がけてきた。

だが、参加者に対しては闇雲にずっと脈絡のない質問していたような…。

 

それこそちゃんと人を観察しないと意味がないんじゃないかなぁ。

今まで、矢を射ることばかり考えて的に当てる事を考えてなかったのかもしれない。

 

なぜ質問すると良いのか、今まで考えてきたのだろうか?

 

よくよく考えると「成功している人のマネをすれば自分も成功する」という

強い思い込みを持ちすぎていたのではないだろうか。

 

最初のグラレコで起きた目的を深く考えず技法の真似をして失敗したようなことを

私はずっと繰り返していたのかもしれない。

 

これからは、ただ真似をするだけではなく、なぜ成功したかをきちんと考えたいと思う。

 

 

■やる気の熱量のコントロール

 福岡で行った、九産大の方がグラレコをしたときの観察は

相手の心情や行動を見ていて、まだ今回よりは細かく見れていたとは思う。

(成功とは言えないかもですが、成功パターンとして考えてみます)

 

これって、何度かグラレコはやったことある分野で好奇心旺盛になってて、

自然に学びたいという前のめりな姿勢になって観察できていたからだと思うんですね。

あのときは楽しく観察してたしちょっと遠足に行くくらいのウキウキな気分だったのを覚えているw

 

今回は観察する上で、必死さや純粋な好奇心が欠落していたん

じゃないかと比較して思った。

部活の1員として観察結果をみんなに提供するというところしか考えてなかったし、

ぼーっとしてた。観察してるが、集中できず右から左へ筒抜けという感じだった。

 

高校の時、得意分野の地学と苦手分野の現代社会でテストの点数が大きくかけ離れるということがあった。

 

地学は自分が好きな分野だから、授業も聞いてて楽しいし頭が覚えたいという

機能になってたが、現代社会は逆で苦手と思い込みすぎて

頭が知識を入れる事を完全にシャットアウトしていて覚えるのが大変だった。

 

これは単に興味があると自分に思い込ませてるか

思い込ませていないかの違いなのではないかと思っている。

 

現代社会については全く知らないし難しそうで興味が持てるわけがないと嫌厭してても

数年後、新聞を読みなさいと言われ読むと意外と面白くて時事って案外おもしろいって感じるようになった。

 

そして結局自主的に色々調べて覚えられるようになっていたりしていた。

物は考えようだなって感じる。

 

観察も同じだったんじゃないかと思います。

おもしろい、楽しいと自分に言い聞かせることで、集中を高める的な。

 

もっと地学を学ぶときのような前のめりな姿勢に興味を

持っていかなきゃならなかったんだと思います。

 

変に今回の内容は難しそうだと思い込みすぎると自然と

脳が集中を途絶えさせるんだと思う。

 

もっと好奇心を持つには基礎となるUXについての知識や観察についての

予習が足りなさすぎたのかも。

 

全く知らない話を聞くよりも、ちょっと知識のある話の方が頭に入ってくるし

知ってるからこそより知りたいと思うじゃないですか? 

 

地学もそうで元々本で宇宙の成り立ちを読んでいたこともあり、ベースとして

知識がある状態で授業を受けたから好きになれたんだと思うんですよね。

 

部員との間でもやる気の熱量の違いを感じていたが、

UXについて予習して知っている人と知らない人で熱量の差が出てるんかなと思った。

 

ちょっと予習するだけでもやる気の熱量ってコントロールできるんじゃないかな。

単純に楽しいと感じる気持ちを自分でコントロールして

好奇心を持つことも一つ大切なことだとちょっと思ったわけです。

 

って思ったので好奇心旺盛になるためにも

関連する本をバンバン読んで行きたいですね!

 

■自分の中での観察する目的

 今回観察する目的を見失っていたこともあり、

今まで自分はどういう目的で観察していたのだろうとふと思い返してみました。

 

最初はグラレコをただ技法として取り入れてみたものの、

肝心の目的がないことを指摘され、先生から観察してみれば?って言われた。

「成功と失敗を比較して成功パターンを抽出するんだ」と。

 

でもその先の目的をちゃんと考えてなかったなーって思う。

 

自分なりに考えた結果私は、やっぱり自分の人間性を高めたいために

成功している人たちの観察をしていたんだなと思った。

 

リーダーシップを発揮する人、別の視点から考えこういう考えもあるんじゃないかなという人、最初はしゃべれなかったけど徐々に喋れるようになって自信をつけている人。

WSで円滑にチームを牽引している人。

 

これと常に自分を比較して自分にはない、積極性やどうやって発言しているのか、話の構造をどう組み込んでいるかそういうところを意識して見ていたことに気づいた。

 

自分は人とのコミュニケーションが上手くとれない、口下手=失敗なので、

その逆のコミュニケーションが上手な成功している人がどういう考えで発言してるのか観察してたんだと思いました。

 

上記で言った人間性を高めたいということでしょう!

その為に観察してたんだと思う!

 

 

 ■UX SHIGA 5回を通して。

 UX SHIGA5回を通して変わったことと言えば、

社会人の人に対して今までだったら何も喋れず、

話を振られるまで無言だったと思うけれど、

 

ちょっと話を交わすくらいは出来るようになったりだとか、

前向きに素直になれた~とか

分かったふり、相づちをやめようと意識するようになったとか、

 

物事に対して今までだったら「ふーん」って受け流していたことも、なんでだろう、

と考えを巡らすようになったとかたくさん変わった部分はあったと思います。

 

ただ、口下手は未だに治っていない。

なのでもっと人間性を高めるために尊敬する人に対して、

 

もっと好奇心をもってその人の人生経験や今の考えに至った経緯みたいなのを

ガンガン聞いてみたい。普段から「観察」は続けていこうと思う。

 

今まで学びに対して受け身だったけど、

普段の生活をちょっと意識するだけでいろんな発見や学びがあるんだなって

新しい景色が見られるようになって得した気分。

 

 のび太なことに対してすごくネガティブだったけれど、

今は変わってやるゾーーーって思います!w

常に物事を深くしっかり考えて、しっかり観察して、

次はどうしていくのかずっと考え続けていきたいと思います。

 

次は失敗を改善するため、

1.人の真似=成功と思い込まず、成功している理由を5W1Hで問いかける。

2.やる気の熱量をコントロールする(予習をやる)

3.1人1人をこれでもかと細かく見る。

という3つのことを意識してみたいと思います!

 

皆様本当にありがとうございました!

まだまだ観察者としては未熟者なので普段から人を見るということは

続けていこうと思います。